【メディア時評】放送の外から「視聴者と共にする報道」を考える

小松 理虔
【メディア時評】放送の外から「視聴者と共にする報道」を考える

私は、福島県いわき市を拠点に、広く「ローカルメディア」に関わる仕事をしている。自分たちで小さなメディアを制作する場合もあれば、人の集まる場自体をメディアと捉え、さまざまなプロジェクトを立ち上げることもある。かつて地方局の記者として働いた時期もあったが、さまざまなかたちのメディアに触れる現在のほうが、地域に求められるメディアについて、あるいは放送局の役割というものについて考える機会が増えた。あくまで「放送の外側から」の意見だが、本稿が、現場で働く方々にとってなんらかの刺激になればうれしい。 

福岡で感じた当事者性と"関わりにくさ"

少し前のことになるが、福岡県内で人権教育に関わる人たちの研修会で講演してもらえないかという依頼があり、福岡市を訪ねた(=冒頭写真)。対象は、学校教員や自治体職員など広く教育に関わる人たちだった。教育者ではない私が話をするのは気が引けたが、私の地元、福島で経験した震災や原発事故の「語りにくさ」について1時間ほど話をさせてもらったあと、各テーブルごとに行う対話セッションのファシリテーションを担当した。

なぜ、福岡から離れた福島に住む私に、このような依頼があったのか。少し整理したい。まず大前提として押さえておきたいのが、福岡県では人権教育が盛んだということだ。たとえば、福岡県は毎年7月を「同和問題啓発強調月間」と定め、県内の各自治体とも連携し、差別解消に向けた啓発活動や講演会を行うなど、さまざまな取り組みを行っている。部落差別が、それだけ地域の課題として認識されているということだ。

他方で、学校教育や社会教育の現場の方たちに話を聞くと、学びの場づくりの難しさに直面しているようだった。まず大きな問題が、差別の問題を当事者として語れる方が高齢化などで減ってしまっていることだ。語り部が減ると、プログラムづくりなどにおいて選択肢が狭まり、限られた当事者に依存することになってしまう。すると、当事者の負担が大きくなるのに加えて、教育担当者も「その人の話を押さえておけば大丈夫」と考えるようになり、プログラムが単純化してしまうこともあるようだ。

そして、もうひとつが生徒たちが感じるハードルの高さの問題だ。生徒たちは「差別はよくない」と考えるからこそ、浅はかな考えを述べることはできない、間違った発言をしたくないと考え、なかなか自分の考えを語ることが難しくなってしまって、最終的に、みんな似たような感想になってしまうのだそうだ。だからもう少し、自由に考えを述べられる場、これまでとは違うタイプのプログラムを作りたいと語る方もいた。もちろん、私が話を聞いたのは限られた数の関係者であり、それがすべてだというわけではないが、そんな話を聞き、震災後の私の地元にも当てはまることがあるなと感じた。

私は、東日本大震災後の福島県いわき市において、まさにそのような「当事者の限定」が、当事者の負担をさらに大きなものにするだけでなく、「関わりにくさ」や「語りにくさ」を生んでしまっているのではないか、もっと多くの方々が、福島のできごとを自分にも関係のあることだと思ってもらうにはどうしたらいいか、当事者性というものを外側に拡張していくにはどのような場が必要なのだろうか、という問題意識を持って活動してきた。今回の講演のオファーにも、福岡の課題を、福岡の外側の、しかし似たような構造を持つ別の課題と接続しながら考えたいという事務局の方々の思いがあったのだろう。

当事者による語りのジレンマ

私の暮らす福島県内にも、さまざまなタイプの語り部がいる。激烈な体験をしている人ほど、その体験を次の世代に伝えなければと一生懸命に、さまざまな活動に関わっていらっしゃると思う。私だって同じで、地元でやっているあらゆる活動は、さかのぼれば震災や原発事故に関係してくるし、自分も語り部のひとりなんだと思っている。

ところが、角度を変えてみると、私たちのような当事者の語りというのは、語りが強くなればなるほど、本人はそう思わなくても、外側から「正しさ」が付与されてしまうものだ。私は過去に、特に若い世代から「小松さんのような、震災を直接経験し、しかもそれについての知識がある方を前にすると、何も言えなくなる」とか、「小松さんのような声の大きな人が語ることで私たちは語れなくなってしまう」というような言葉を投げかけられたことがある。

強い語りによって眼が開かれ、自分も伝承活動に関わりたい、被災地での活動に参加したいと考える人もいるし、そのような当事者の語りでしか伝わらないものもある。他方で筆者は、そのような強い語りは、「弱い語り」を許容しないような、異論を挟むことが許されないような雰囲気を作り出してしまうのではないか、それは果たして伝承につながるのか、とも考えてきた。

こうした、いわば「当事者の強すぎる語り」の問題は、震災の伝承だけではなく、平和教育などにも共通する問題かもしれない。語り部の数が多い時代ならば多様性は担保されるが、高齢化などで当事者が減り、語りが少数化されると、同じ当事者ばかりに光が当たることになってしまい、全体として多様性、多声性を失い、ますます限られた人たちの言葉だけが当事者の声と位置づけられてしまう。

当事者の語りに耳を澄ませることは当然必要なことだが、それは言い換えれば、その問題について考え、語るという作業を、限られた当事者に押し付けているとも受け取れる。みんなで語れたほうがいい。そこで何を考えたのか、どう思ったのか、当事者の話を聞いて自分はどうしようと思ったのか。複数ある語り、多声的な語りの場が必要なのではないかと考えている。

体験を通じた伝承

では、こうした「語りにくさ」を、どのように突破していけばいいのか。それを考えるのが本稿の目的だが、もう少しだけ回り道をしてみたい。

今年6月、「東京から能登を応援する」をテーマに立ち上げられた「のと部」に参加する友人に誘われ、能登半島の七尾市の民間のボランティア団体「おらっちゃ七尾」の災害ボランティア活動に参加してきた。1日だけの参加ではあったが、指定文化財となっている古い建物の石垣を片付けたり、仮設住宅を1軒1軒回って安否確認していく活動に参加したりと、大変充実した時間を過ごすことができた。

七尾で私が考えたのは「体験を通じた伝承」というものだった。今回のボランティアで、私は直接被災当事者の話を聞いたわけではない。けれども、崩れた石垣の石を持つことで揺れの大きさを知り、仮設住宅でのおしゃべりを通じて、住民の現状をわずかだが知ることができた。伝承というと、当事者から話を聞くことをイメージするが、なにかしらの「体験」を通じて伝承されるものもある。

一緒になにかをする。その行動や活動が媒介となることで「関わりやすさ」が生まれるし、その共通体験が、困難な課題について考える敷居を下げ、それぞれに考える余白を生み出す。当事者の前だと語りづらい、という若者たちも、まずはそこに行って、なにかをやってみれば、さまざまな考えが浮かぶし、語れる材料、いわば「語りしろ」も生まれていくはずだ。

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<七尾市での活動の模様>(撮影:米津いつか〈のと部〉)

もちろん、当事者は黙れ、もっと優しく語れ、ということではない。強い語りの一方に、別の語りを生む余地をいかに生むかということを考えたい、ということだ。「まだよくわからない」「まだ考えがまとまっていない」「自分の考えは浅いかもしれない」という状態を許容する、同じ場でなにかを経験し、その経験をそれぞれの仕方で引き受ける人を増やす、ということだ。

この、「共になにかすることで得られる学び」というアイデアは、じつは福岡のワークショップでも、参加者の皆さんからしばしば言及されていたものだった。話をする人がいて、聞く人がいるという一方的な関わりだけではなく、一緒になにかをする、そんな共同体験にも「自分ごと」の回路は開かれる。福岡と七尾の異なる体験は、私の中でそのようにつながった。

「共にする報道」は可能か

この話を、福祉に結びつけてもいいかもしれない。この数年、私は福祉法人と一緒に仕事をする機会に恵まれ、採用の企画や体験プログラムなどに関わってきた。福祉の皆さんと関わるなかでしばしば耳にするフレーズに、"ためにする福祉から共にする福祉"へ、というものがある。私なりにわかりやすくいえば、利用者のために一方的なサービスを提供するのではなく、相手が望むことを一緒に実践する、そんな「協働性」が求められているということだろう。

私はこのフレーズに「専門知だけでなく現場知を」という含意があると受け止めている。「ためにする福祉」には高い技術や知識が必要だ。相手のニーズを理解し、適切に対応しなければ、そもそも当事者のためにならない。一方で、地域共生が叫ばれる現代、地域住民としてできることも考えたい。「ともにする福祉」ならば、一緒に散歩をするとか、食事を楽しむとか、遊んでみるとか、専門性がなくても、その住民なりの力を通じて関わることができるし、そんな体験を通じて「自分も福祉の担い手だったんだ」と気づくこともできる。

この「福祉」を「報道」に置き換えることはできないか、というのが本稿の趣旨である。

つまり、「ためにする報道」から「共にする報道」へ、ということだ。なんだか昔記者をしていた頃にも「視聴者と共にある報道」というようなフレーズを聞いたことがあるような気がするが、現代のほうが切迫感がある。当事者の語りを伝える報道だけではなく、当事者となにかを共にする場、当事者が暮らす地域でなにかに取り組む場を報道機関が自ら作り、その「共にする時間」や、「そこで得られた学び」を含めて報じるということができないだろうか。

正しい結論や見解、意見を用意するのではなく、考える場、語り合う場を提供するのだ。ただ、それは報道機関の役割ではないと考える人もいるだろう。ならば、制作や地域事業を担う部署と連携できそうだし、CSRなどを担当する部署が企画してもいい。地域の大学や研究室などと連携してもいいし、メディア企業による対話の場づくりにどのような効果があるのかを実証研究するというアプローチも検討できるかもしれない。

当事者を前に、自分の考えを堂々と語ることができる人はそう多くはないと思う。だが人は、体験したことなら、そこから語りを始めることができるし、その考えをお互いに話し合い、他者の意見を聞き、その違いに触れることを通じて、心境や考え方も少しずつ変化していくものだと思う。変化を内包する対話が、分断の深まる時代には必要だ。そのような場をメディア企業が自らつくることで語りを複数化していくことも、メディアが担いうる役割のひとつだと思う。

変化を通じ、問いを共に考える

もちろん、「変化」の対象は、視聴者や住民ばかりでなく、記者やディレクターもまた含まれる。当事者を取材し、話を聞いた記者自身が、どのように変わったのか。新聞記者に比べて放送記者やディレクターはあまり表に出てこない印象もあるが、取材者自身の変化も含めて、どのようにコンテンツにできるかを考えてみてもいいだろう。重要なのは、メディアが市民を啓発するということではない。その場に参加した記者やディレクター自身もまた、他者とのやりとりによって見方を変えられていくということだ。

いま、YouTubeが「放送」や「報道」の代替として受容される時代になりつつある。しかし、YouTubeと視聴者の関係は、すべてがそうだというわけではないが、「推し活」のような関係に変化していると私は感じている。推す側と推される側、視聴者とYouTuberという関係が固定されているということだ。確かにコメント欄などを通じた交流は担保されてはいるが、かつてのマスメディアとは別の形で、実のところYouTubeもまたインタラクティブさを失っていると見ることもできるだろう。

だからこそ私は、地方のテレビ局が、単に情報を届けるだけでも、特定の誰かを「推す」ためでもなく、地域の人たちとともに問いを考え、ときには一緒に何かをすることで、今一度「視聴者と共にする報道」を目指してみることに意味があるのではないかと思う。それは、地域のメディアが信頼を再び獲得していくためのひとつの方法にもなるのではないだろうか。

では、具体的に「共にする報道」とはどのような手法なのか。メディアの専門家でも研究者でもない私には提示することが難しい。すでに報道から離れて久しいし、放送に関わる仕事の頻度もさほど多いわけではない。つまり私は放送の当事者ではない。ただ、非当事者かと言われるとそうではないはずだし、放送と無関係ではない一人として、視聴者として、「共にする報道」とはどのような報道なのか、皆さんと一緒に考えてみたいと思う。

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